Japanese Husbandの日記

Japanese Husbandの日記

日本⇔ブラジル国際結婚&学生結婚したアラサー日本人アメリカ留学生の日記等。USCPA勉強中。

平成が終わり新年号:令和

平成も終わって新しい年号が発表されました。新年号は令和になりましたね。

今の所漢字変換ですぐ出ないので早くアップデートされることを願いします。

 

年号が変わったからと言って、私個人の人生に特に何か変化があるわけでは無いですが、新年度&新年号で良い区切り。ということで、個人的に印象強い平成の出来事を自分の人生と照らし合わせて振り返りたいと思います。

平成3年 - 沖縄で生まれる。生まれた年なので記憶は全くありませんが、ソ連崩壊の年ですね。小中高時代に歴史の時代でソ連の話が出るたびに昔のロシア程度の認識だった記憶があります。バブル崩壊もこの年。

 

 

平成7年 - 4歳。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件があった年。年を重ねてからそれぞれについて学びましたが、当時は小さく全く記憶に無いです。

 

 

平成8年 - 沖縄から千葉に引っ越して半年後には東京に引っ越しました。この年、初代ポケモン赤・緑発売。自分が買ってもらったのは発売から1年後だった記憶ですがだいぶ熱中しました。転校先で新しい友達を作るためか親が買ってくれてみんなで一緒にゲームすることですぐに友達が出来たような記憶があります。

 

この時代はNintendo64が大流行でマリオパーティマリオカート大乱闘スマッシュブラザーズなどをするために毎日のように友達の家に通ってた記憶。最近はゲームから離れた生活してるけど、今年の年末にポケモンの新作が出るので、それまでにUSCPAのテストを合格したらご褒美に買う予定。笑

 

私の家にはNintendo64が無かった代わりに、初代プレステがあって、ミニ四駆のゲームと第四次スーパーロボット対戦Sを小学1年生の時にやってた記憶がありますね。小さい頃にスパロボを始めたのと、父親があしたのジョー巨人の星が好きだった影響で、平成生まれながら昭和のアニメをスカパーのアニマックスやキッズステーションで見て育ちました。

 

たしかこの年にそろばんを始めました。近所の同い年の影響で始めましたが、小学校に入る前には掛け算九九を覚えてて割り算もやってたので、公立小学校1年生の自分は井の中の蛙状態でしたね。このときから慢心せず真面目に勉強をしてたら良かったなーと若干後悔。

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平成11年 - 松坂大輔&上原浩治選手がプロ野球デビュー。野球を始めたばかりの私は上原選手のファンでした。フォームがかっこよく、ポンポン勝っていく姿を見て上原投手みたいなピッチャーに憧れてました。昨年巨人に帰ってきましたが出来るだけ長い間勇姿を見せ続けてほしいです。一昨年著書の不変も読ませてもらいました。

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平成13年 - この年はアメリ同時多発テロ。既に語り尽くされたでしょうけど、衝撃的でした。たまたま夜中に目が覚めてトイレに行ったあとテレビを見たら、ニュースがやってました。夜中で眠かったのもあって最初は事件の規模があまり良くわかりませんでしたが、翌朝のニュースや学校でも先生や他の生徒が話しの内容から事の重大性を子供ながらに認識しました。

9.11以前の空港のセキュリティーが分からないので比較は出来ませんが国際線に乗るたびにこの事件の影響を感じますね。

 

平成14年 - 日韓ワールドカップベッカムフィーバー。このときはサッカーにあまり興味がなかったのが残念。

 

平成18年 - 第1回WBC日本代表優勝。野球をやってた自分としてはめちゃくちゃ興奮。でもこのときくらいからネトゲにハマったりして、昼夜逆転したり今思えばたくさん時間を無駄にしてしまった記憶。この時にネットリテラシーや、ググる事を学んだから、そういう意味では学びの時代。

 

平成23年 - 東日本大震災。私の中で一番大きな出来事はこれ。

私は地震発生時、実家のこたつで昼寝していました。今までの人生で経験したことのないサイズの揺れが2分も続き、正直自分はここで死ぬんだと思いました。。

揺れが一旦収まったあとにすぐにテレビを付けて、さらにネットで情報収集。テレビに流れる津波の映像や、緊急地震速報はトラウマになりました。福島や東北の被災地にはボランティアでは行けなかったけど、液状化現象の起こった千葉の浦安の方のボランティアには参加出来ました。

3.11以降も原発の問題であったり、常にすべての人が不安とストレスを抱えて生きていた印象。個人的には2年間のサンディエゴでの奉仕活動が決まったりして、英語の勉強をしたり、バイトをしてお金を貯めていた時期でした。

震災後の日本ではなく、海外での奉仕活動をすることに少し葛藤を覚え、できれば自分も日本の力になりたかった。という思いから将来は日本の役に立てる事をしようと決意した時期でもあります。

 

 

平成23年以降はサンディエゴ、オレゴン、ハワイ、パラグアイ、ブラジル等国外での生活がメインになり日本の出来事に非常に疎くなりました。

英語を習得したことで世界が広がり、アメリカに正規留学。大学在学中にパラグアイ、ブラジルでの生活も経験しました。

 

私にとって平成は、「後悔」と「成長」の両方を兼ね備えた時代でした。平成に生まれ育ち令和で輝く人生を送れるようこれからも精進していきます。日本にいても、海外にいても日本に貢献できたらと思います。

 

 

チャオ!